2010年3月4日木曜日

『命と向き合うデザイン』 

 1)Lingo




引き続き、
プログラムとしての言語です。


Lingoは私にとって、
「つくれるものならつくってみろ」的な、
課題で作成することになった、
プレゼンテーションに関係している言語です。

この言語、
きっと大半の方がご存じないと思います。
昔、Directorというソフトウェアがありました。
最新版が2008年に出ているので、
昔、というわけではないようですが、
使っているという話題を最近は聞きません。

現在はAdobe社の製品ですが、
それ以前はMacromediaがつくっていました。
Flashよりも遥かに昔です。

歴史を語るような知識はないので、
自分から見えていた世界を思い起こしてみます。

私が使い始めたのは十数年前、
バージョン4の頃です。
本来の目的は、
ゲームやアニメーションを
作成するためのソフトウェアです。
私は、プレゼンテーション用コンテンツを
作成していました。

タイムラインに沿ってオブジェクトを配置し、
再生を押せば配置したオブジェクトが表示される、
というのが基本的な使い方です。

フレーム数を決めれば、
マシンに異常な負荷がかからない限り、
時間通りのアニメーションを作成できます。

プレゼンテーション用に作成するためには、
タイミングなどをコントロールする必要があります。
また、
コントロールした際のレスポンスなども、
表現したくなります。
Directorの中でそういった細かいこと(?)を、
受け持っていたのがLingoという言語です。

当時は、
フレームを停止させたり、
操作者の行為に追従させたり、
というアクションは、
全てLingoを記述する事で、
コントロールしていました。

数年経って、
たまたま新しいバージョンを触る機会があり、
使ってみてビックリ。
書かなくてもできるじゃん!
という具合に、
インターフェイスが出来上がっていました。
まぁ、そりゃそうですよね。

このマニアックな言語が
私が最初に触ったプログラムに関する言語です。

考えてみると、
プログラムに関する言語の、その全てが、
何かを表現するために使われているように
思います。

プレゼンテーション、
と言って良いのかわかりませんが、
iPhoneアプリも含め、
私にとってのプログラムに関する言語は、
常に、
一つのプレゼンテーションの手段として、
あったように思います。

プログラム=表現手段