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『命と向き合うデザイン』 

 “巡る”

When I am doing something, my brain thinks the only thing. How do I handle that? Is this okay? I think about a problem. 何をしていても、 未解決箇所が 頭の中に浮かんでくる。 あそこ、どうしよう。 こうした方が良いかな。 ぐるぐるぐるぐる・・・。

『命と向き合うデザイン』 

 つくるコト

There is a feeling of making. The meaning of word isn’t making the great thing or making the innovative thing. It is so important for designer to like to make something. What one likes, one will do best. If you don’t like to make something, you cannot continue that work. If you don’t like to make something, you cannot design something. つくるコトに対する気持ち。 別に新しいモノ、 すごいモノ、 革新的なモノ、 でなくても良いから、 ただ、単純に、 つくる、 というコトを好きであることは、 この仕事では大切なこと。 好きこそものの上手なれ、 ということもあるけれど、 それよりも何よりも、 好きでなければ続かない。 好きでなければ生み出せない。

『命と向き合うデザイン』 

 “後手”

Being forestalled. My action is forestalled recently. Being pressed for time is so exiting. And the situation makes an evasive answer without enough thinking. Let’s improve my daily rhythm. 後手。 最近完全に後手に回っています。 追われている中でやることは、 刺激があると言えば聞こえは良いですが、 十分な思考を伴わず、 その場凌ぎになってしまうことの方が、 遙かに多い。 生活のリズムを変えよう。

『命と向き合うデザイン』 

 身体を使う

Move my body. The sentence doesn’t mean taking exercise. The meaning of this sentence is antonym of “Using my brains”. I like using my body. I agree with moving my body. I have ever heard from some designers that the strength is essential factor for design. The meaning of word is not “a feat of strength”. If you want to finish the work, you have to keep enough strength. The energy supports the strength. And the strength maintains the energy. A lot of great design is supported by that interrelationship. 身体を使う。 運動をする、と言うよりも、 「頭脳を使う」の、 反意語としての、 「身体を使う」。 基本的に身体を使うことが好きです。 身体を使って何かをする、 と言うことが、 何故か非常に性に合っています。 何人かのデザイナーさんから、 「デザインは体力勝負だ」、 と言う話を聞いたことがあります。 力業、 という意味では勿論なく、 どこまでやりきることができるかは、 最後は体力に掛かっている という意味です。 そして、 体力は気力によって支えられ、 気力は体力によって維持されます。 多くの素晴らしいデザインは、 この相関関係に支えられています。

『命と向き合うデザイン』 

 “鳥鳴き花笑ふ”

I don’t want self-ridicule or scornful laughter. I want pure laugh now. I don’t think that it is good that I look down upon somebody or myself. I don’t hope such a complex thing. I want to laugh gently. And I want such time. The Chinese character is “笑”. The meaning of “笑” is the part of “咲”. And there is “鳥鳴き花笑ふ” in the Japanese idiom. The meaning of “咲” is “flowers are blooming”. “笑” and ”咲” are same meaning in ancient time. I love the meaning of laugh. 自嘲や嘲笑ではなく、 純粋に笑いが欲しい、 と思う今日この頃。 徒に、 自分を落とすのでも、 人を落とすのでもなく、 そんな複雑なことはしなくて良いから、 ただ、 現象を素直に受け止めて笑うこと。 そんな時間が欲しい。 笑う。 咲う。 嗤う。 哂う。 咳う。 听う。 「咲」とは『漢字源』(学習研究社/藤堂明保)によると、 「会意兼形声。  夭は、  なよなよと細い姿の人を描いた象形文字。  笑は、  細い竹。  細い意を含む。  咲は元、  「口+音符笑」で、  口を細めてほほとわらうこと。  咲は、  それが変形した俗字。  日本では、  「鳥鳴き花笑ふ」という慣用句から、  花がさく意に転用された。」 そんな花が咲くような笑いが良いな。

『命と向き合うデザイン』 

 “覇気”

The ambition is essential thing. Who is the subject of ambition? Other person? Or, yourself? Who is other person? What are another you in you? I met wonderful man. His belief and will were so strong. He believes his work has influence on our society. 覇気がなければいけない。 相手に対してか、 自分に対してか。 相手とは誰か。 自分の中にもう一人の自分とは何か。 素晴らしい方に出会った。 自分の仕事への、 自分の仕事による、 社会への影響への、 信念と意志。 その気持ちを学びたい。

『命と向き合うデザイン』 

 tabula rasa

tabula rasa I have never known the word of “tabula rasa” . The word’s meaning is about “white paper”. I believe that I have the time to get my ideas in shape tomorrow. There are “Kando” and “Kangeki”. There are “Theater” and “Space-time”. There are “Context” and “Contents”. I’m going to get their ideas in shape at my own discretion. 「真っ白な紙」=tabula rasa という概念があるとのこと、 http://www.ouzak.co.jp/blog/?p=10343 初めて知りました。 明日、 思考をまとめる時間が取れることを信じて。 感動と感激。 劇場と時空。 形式と内容。 自分なりに整理します。

『命と向き合うデザイン』 

 “力”

I need courage, mind, physical strength and spiritual strength. There are very a lot of needing things other than muscular power! 胆力、 心力、 体力、 精神力。 筋力以外のモノが必要になることが、 なんと多いことか。

『命と向き合うデザイン』 

 “周りへ”

I couldn't see around recently. Many events happen and many objects are born in this world. There is not little thing and there is not big thing. I have to think as seeing whole. I don't wanna miss that someone draw a line on a piece of white paper with a pen. 最近、 周りを見てなかった。 見渡してみれば、 色々なことが起こっていて、 色々なモノが生まれている。 細かいことも、 大きなこともなく、 もっと全体を見て、 考えていきたい。 白い紙の上の一本の線を、 見逃さないように。

『命と向き合うデザイン』 

 一本の線でも

For example, someone draw a line on a piece of white paper with a pen. The line contains artist’s stress as can’t go back. An artist has power that makes feel the stress. An audience has power that can feel the stress. Either of them is far ahead of others. Or, both are far ahead of others. The strong emotion is born from those relationships. 例えば、 真っ白い紙に、 ペンを使って、 一本の線を引く時とします. その線には、 消すことはできない、 戻ることはできない、 という描き手の緊張が内包されます。 感じ取らせることができるほどの、 描く側のちから。 感じ取ることができるほどの、 観る側のちから。 どちらかが際立っている、 または、 双方が際立つことによって、 そこには、 感動・感激が生まれます。

『命と向き合うデザイン』 

 劇場の価値

There is high value in the situation. The situation needs “now and here”. I think about the space-time as context and the result as contents. If the performer and the audience share the context, the value of contents become clear. But, that might be only excited condition. 今、 ここで、 行われることに より高い価値が見い出されること。 つまり、 時間と空間を contextとして、 行われる行為を contentsとしたとき、 演ずる側と 観る側が 同じcontextを共有することで、 contentsの価値が明確になる。 言ってみれば、 特殊な時空の共有による、 一時的な興奮状態でしかない、 とも言えます。

『命と向き合うデザイン』 

 “読書”

My reading speed is so late. So, I need courage to spare time for reading. When I read a book, I must put all other thoughts out of my mind. I don’t read a book because of being interested in a story, but decide to read a book. Why do you read books? I read a lot of books because I want to get knowledge. Unknown factor is good. But, known factor is bad. I stop to read a book. Though if I read to last, I might get new knowledge. I regret my reading speed. In that respect a construction of article is so good. 読むのが遅い私にとって、 読書に時間を割くのは、 非常に勇気のいることです。 色々なことが頭の中を過ぎりつつも、 一切無視して読む。 面白いから一気に読む、 というよりも、 読むと決めたから読む、 というのか、 正しい。 読むと言うことは、 その中に記されていることを、 自分の中に取り込みたいから、 読む。 未知なることならば良し、 既知なることならば悪し、 と言わないまでも、 やっぱり途中でやめてしまいます。 もしかしたら、 最後の一行にすごいことが書かれているかも、 と思いながらも、 自分の速度を悔やむばかり。 その点、 論文の構成は、 非常に優れています。

『命と向き合うデザイン』 

 劇場の喪失

“ Media ” is word that contains a lot of meanings. The meaning of Japanese is “媒介物”. And media has many roles. Separation of performer and audience’s space-time is one of the roles. Therefore communication gets diversity. But, a part of strong emotion from the fitting perfectly them space-time is lost. That is “loss of theater”. On the other hand, movie has developed without relation to separation of space-time. What is the difference? media は、 媒介物という日本語訳があてられており、 多くの意味を包括しています。 mediaの持つ役割の一つに、 演ずる人と、 観る人の、 時間的・空間的断絶を生み出す、 というものがあります。 これによって、 コミュニケーションは、 多様性を獲得しました。 結果、 時間的・空間的一致に伴う感動や感激の一部は、 置き去りに。 劇場の喪失です。 しかし、一方で、 時間的・空間的断絶に影響を受けず、 感動や感激を与え続けるものは、 残存・発展しました。 映画などがその代表と言えます。 その違いはどこにあるのでしょうか。

『命と向き合うデザイン』 

 劇場

There are performing and dancing. I have frequent contact with them recently. The moment, the space and the human turn into other moment, other space and other human. Even if you perform “you” here and now, you aren’t you not here and now. As of you are aware of performing, your space-time is apart from ordinary space-time. Theater appears from fitting perfectly performer’s space-time and audience’s space-time. 演ずることや、 舞うこと、 踊ること。 最近は、 どうやらそういうもの付いているようです。 その瞬間、 その場所、 その人だけが、 違う時間、 違う場所、 違う人になる。 「今」の「ここ」で「その人」を、 演じていても、 それは、 違う時間、 違う場所、 違う人。 演ずる、 という意識に支配された時点で、 時空が切り離される。 演ずる人の時空と、 観る人の時空が揃うと、 そこに、 劇場が生まれる。

『命と向き合うデザイン』 

 残される言葉−1

There are left words. 「どこから始めていいかわからない。  わからないところから始めたらいいんですよ。  わかったらおかしいんですよ。  わからないからやる。  思い切り、思いのたけやってみる。」 Instead of doing based on agreement with theory, anyway, you have to do. In addition, you have to take a full swing. After that I don’t know what will happen. We cannot explain that because of difficulty putting into words. 残された言葉から。 「どこから始めていいかわからない。  わからないところから始めたらいいんですよ。  わかったらおかしいんですよ。  わからないからやる。  思い切り、思いのたけやってみる。」 理屈で納得してから動くのではなく、 なんだかわからないけど、 兎に角、 やってみる。 しかも、 思い切り、 やってみる。 その先に何があるのかは、 やってみないとわからない。 それは、 文字通り、 説明できないものだから。 やった人しかわからない。 相手が持っていない感覚を、 言葉で説明することが、 極めて困難であるように、 文字通り、 説明できないものだから。

『命と向き合うデザイン』 

 残される言葉

Kazuo Ohno I don’t know his detail but his name. I have never seen his performance. I’m reading his book because of recommendation of my friend. There is a sentence containing his real word in a book. Those words are naked like a pulling out his heart. We have a method of associating a dead person. That method name is a reading his book. We can pick up his word spun. And we can correct and bring up those words. I think that accumulation of those experiences might bring us the good results. 大野一雄。 彼のことは名前しか知らない、 と言って良いほど、 彼自身の何かを直接見ることは、 一度もありませんでした。 勧められて彼の本を買い、 読み始めました。 その中で語られている、 彼の言葉を文字に書き起こした文章。 心をそのまま抜き出したような、 そんな剥き出しの言葉が綴られていました。 死んだ人間と付き合う方法として、 読書があります。 紡がれている言葉を拾い、 自分の中で集め、育てる。 その積み重ねが、 何かを生むのかも知れないと信じて。

『命と向き合うデザイン』 

 気が利く

I wrote about “importance of notice” in my blog. “Notice” is more important thing for designer. And second importance thing is “doing the action”. But, I became aware of one more important thing. That is “being sensible”. If you carry out all of your notice thing, that is so bad. You have to select what you have to do to use your ability of being sensible. You have to use your ability of being sensible to select what you have to do. That is the most important thing for designer. 以前、 デザイナーにとって大切なモノとして、 「気付けること」 を挙げました。 そして、 次に大切なこととして、 「動けること」と書きました。 しかし、 その前にもう一つ大切なことがありました。 「気を利かせる」 気が付くことはとても重要です。 それは変わりません。 しかし、 その全てを実行すれば良いかというと、 そうではないようです。 気を利かせることで、 実行すべきことを、 きちんと選び抜く、 それが大切なようです。 「気が付く」と「気が利く」

『命と向き合うデザイン』 

 “祈り”

There was fantastic bridal. I kept back my tears. That was my first experience except family’s bridal. My mind was in the mysterious situation. My mind was moved by all thing of the ceremony. I wish your happy life from the heart. 素敵な式でした。 家族以外の結婚式に出て こんなに涙を堪えなければいけなかったのは 初めてでした。 すごく不思議な状態。 心が勝手に動いた。 幸せになって欲しい。 心から祈っている。

『命と向き合うデザイン』 

 お使い−2

You see scenery that you do not usually see. You hear sound that you do not usually hear. You smell perfume that you do not usually smell. You touch object that you do not usually touch. Perhaps, you might eat that you do not usually eat. That is a favor from an errand. Can you think about that? That situation is special time for you. But, that is other people’s ordinary. Objectivity is necessary for the designer. An errand gives you that chance. 普段見ない風景を見て、 普段聴かない音を聴いて、 普段嗅がない香りを嗅ぎ、 普段触れないモノに触れます。 もしかしたら、 味覚も使えるかも知れません。 そういう、 自分にとって特殊な時間と、 認識することができるか、 その価値を見いださせるか。 そして、 そこには、 別な視点の一般性があることを、 認識できるかどうか。 デザインには、 主観を客観化する行為が、 必須です。 そのための時間と捉えることができるかどうか。

『命と向き合うデザイン』 

 お使い−1

An errand is mysterious time. I don’t move of my own accord. Perhaps you think about a waste of time. If you think that you can learn something, that thinking is so positive. Even if you don’t think that, it is so important to accurately understand the situation. An errand leaves no room for your mind. As the result, that contains specialty and generality. Both motivation and purpose is not yours. An errand makes you doing that you don’t usually do. That is a very interesting situation. お使いは不思議な時間です。 自分の意志で動いている時間ではないので、 時間が無駄になる、 と考えることもできますが、 そう考えるのは早計です。 これを経験して何かを学べということかな? と考えることは、 極めてポジティブですが、 そう思うことが難しくても、 「自分の意志で動いている」わけではない、 ということが、 特殊性と一般性を包括します。 動機も、 目的も、 自分のモノではない。 つまり、 多くの場合、 普段の自分だったらしないこと、 をすることになります。

『命と向き合うデザイン』 

 力の使い方

It is so important to think about how to use your ability. What balance is it? What combination is it? What density is it? That thinking is shortcut to arrive at your best solution. Focusing your efforts is not recourse to violence. The result is up to how to use your ability. Keywords for that are “balance”, “combination” and “density”. 今持っているモノを、 どんな釣合で、 どんな連携で、 どんな密度で、 使うのか。 それが、 今できる1番良いモノへの、 近道かも知れない。 何かに力を注ぎ込むとは、 ただ、 力を入れることではないと考えます。 無いものは無い。 でも、 有るものは有る。 その使い方を考える。 そのためのキーワードが、 釣合・連携・密度。

『命と向き合うデザイン』 

 光と影

If there is light, shadow exists. If there is shadow, light exists. Any scenes contain both light and shadow. It is not possible to exist alone. Nobody stop time. The flow of time is same speed. And human time always has end. Time flows flow at constant rate till human end point. Light changes in your life. At one time the speed is so slow, and at other times the speed is so fast. If you see shadow now, you can see a brilliant future next time. I believe so. 光があれば影がある。 影があれば光がある。 どんな場面でも、 きっと、 その二つは共にあるのだと思う。 どちらも、 どちらかだけでは、 存在し得ないから。 時間は流れていく。 同じ速度で流れていく。 その先には、 必ず終わりがある。 その時まで、 同じ速度で流れていく。 光は移ろう。 時間の中で、 時にゆっくりと、 時に素早く。 今、 目に映るものが、 もしも影ならば、 次は、 必ず光が映る。

『命と向き合うデザイン』 

 本

At any rate I’ll buy it. At any rate I’ll read it. When I was a university student, I had two modes for the relationship of book. At one time I want to buy a lot of books, and then at other times I want to read a lot of books. I can’t think about that now. Needless to say, I bought and read book. But, when my feeling in the buying mode, I thought that I came across attractive book. And when my feeing in the reading mode, my reading speed was so fast like a character-starved human. When I was a schoolboy, my reading style was strange. I recalled. I read about ten kind of book side by side before going to bed. I don’t know why I did that. 兎に角、買いたい時と、 兎に角、読みたい時があります。 今はそんなことは言っていられないので、 隙間を見つけて、 買って読んでいますが。 大学生くらいから、 無性に買いたいと感じる時と、 その買いためた本を、 文字通り、 漁るように読みたいと感じる、 二つのモードがありました。 勿論、 それ以外の時にも、 買ったり読んだりしますが、 「買いたい」モードの時は、 買いたいと感じる本に出会うことが 多かったように感じます。 また、 「読みたい」モードの時に読むと、 驚くような速度で読むことができます。 活字に飢えているように。 考えてみると、 昔から本の読み方は変だったように感じます。 小学校から高校生くらいまで、 寝る前に10

『命と向き合うデザイン』 

 無心になる

You have to do that to carry out your believing that you can do that. Do you think about whether you believe yourself or not while going toward the goal? The decision of believing is the first time only. After the decision, you have to go to the way of your decision. 自分にはこれができる、と、 自分を信じたことを、 自分を騙したことを、 実現するために、 只管それを取り組みます。 「それ」に向かっている間、 「私は自分を信じている」、 または、 「私は自分を騙している」、 などと考えているでしょうか。 もう、 最初に信じたら、 最初に騙したら、 後はただ只管、 「それ」に向かうのみです。 「それ」以外のことを考えていたら、 実現できないかも知れない。

『命と向き合うデザイン』 

 信・騙

You believe that you can do it. And you deceive yourself into thinking you can do it. Are these same meanings? I think that the former says from subject to subject and the latter say from subject to object. I feel that the word of deception is negative impression. But, if you deceive yourself, you must believe yourself more than anyone. 自分にはこれができる、と、 自分自身を信じることと、 自分にはこれができる、と、 自分自身を騙すことは、 同じ意味でしょうか。 前者は主体から主体に 話しかけている印象があります。 後者は主体から客体に 話しかけている印象があります。 騙すという表現は、 信じるという表現に比べ、 後ろ向きに聞こえるかも知れませんが、 本気で自分自身を騙すとき、 心の中にあるのは、 自分自身を信じる気持ちのみです。

『命と向き合うデザイン』 

 "覚え書−2"

I’d like to make clear the meaning these words someday. I write the definition of each word. Topos: A traditional theme or formula in literature. Logos: The principle of reason and judgment, associated with the animus. Ethos: The characteristic spirit of a culture, era, or community as manifested in its attitudes and aspirations. Pathos: A quality that evokes pity or sadness. もう少し勉強してから書きたい言葉たち。 トポス(topos):場所・論点・観点・空間的 ロゴス(logos):言論・論理・理性的・能動的 エートス(ethos):倫理・人柄・品性・持続的 パトス(pathos):感情・情念・一時的・受動的

『命と向き合うデザイン』 

 美しいモノ

There are at least two patterns of beauty. If you become used to seeing the object, you might understand the beauty of the object. If you have never seen the object, you might feel the beauty of the object. The former is the projection of your memory. The latter is the projection of your ideal. 美しいモノは少なくとも二つある。 見慣れているから、 美しさがわかるモノ。 見たこともないほど、 美しいと感じるモノ。 前者は記憶への投影、 後者は理想への投影。

『命と向き合うデザイン』 

 “共感覚”

I received impulses from a little text. There is synesthesia. Your plural sense organ feels stimulation when you get stimulation from outside. For example, when you hear a sound, you can feel color. The word “synesthesia” is so interesting. synesthesia -> syn- + anesthesia     -> aesthetic     -> aisthanomai to perceive          -> cipio to seize, understand Anesthesia’s meaning is insensitivity to pain. Syn-‘s meaning is united. Synesthesia’s meaning is paralyzing the sense at the same time. So, synesthesia isn’t plural sense but no sense. Anesthesia’s origin is aesthetic. That word’s meaning is “beauty” and “sense of beauty”. The word’s origin is “perceive”. The meaning is “become aware or conscious of”. I can agree the last word. But, I am surprised at the word on the way. ある文章を読んで触発されたので、 ちょっとしたメモ書きを。 共感覚、というものがあるそうです。 ある 刺激 に対して、 通常では対応していない感覚器が反応する、 という知覚現象とのこと。 例えば、音を聞いて色を感じる、など。 英語では、 synesthesia と書くそうなのですが、 これがちょっと面白い。 synesthesia -

『命と向き合うデザイン』 

 人体のインターフェイス

I wrote about the story of direct touching. Direct touching = 手+当. That word meaning is medical treatment. When you have a stomachache, you can touch your stomach. You will feel the ache becomes weak. Of course, your hand doesn’t have miracle power. I think that phenomenon is our imagination. Perhaps your touch raises your stomach temperature. As a result, your recuperative power might be made active. If the physician touches your affected part, he can understand your disease. Only touches can sense something of depths of your body. And, this action helps your recovery ability. The surface of body is interface. You can get the information and fulfill the function only touch the surface of body. 直接触れるという話を書きました。 直接触れる=手を当てる。 手当です。 お腹が痛い時、 痛い箇所に手を当てていると、 何故か痛みがひく気がします。 勿論、 手から何やら怪しげな成分が 分泌されているわけではないので、 気のせいなのかも知れません。 しかし、 もう少し考えてみると、 患部を体温で温めることで、 人体が持つ回復機能が 促進しているのかも、 と考える事はできます。 痛い、と思った時に、 まず、その箇所に触れてみます。 内科医でしたら、 それだけでも、わかることがあるのでしょう。 つまり、 触れることによっ

『命と向き合うデザイン』 

 直接触れる

There is a direct touch. You can get across your mind to your partner with your skin. That is the most natural and clear interface. There is interface at the position between human and machine. The word is originally a chemical technical term. There are two types of effecting. The first is direct effecting. The second is indirect effecting. 直接触れるということ。 肌で直接触れて、 意思を伝える。 インターフェイスとしては、 極めて自然で、 極めて明快です。 モノと人間が接するところには、 インターフェイスがあります。 化学用語でいうところの界面です。 モノに接する場合、 触れた部分そのものが、 何か変化を起こす場合と、 触れたという情報が伝搬し、 関係性のある違う部分が、 変化を起こす場合とがあります。