2010年8月12日木曜日

『命と向き合うデザイン』 

 芯



昔から,頭の芯が納得しないとできない子でした.それは原理を理解していない,ということではありません。原理も意味も意図も意義も「理解」していても,芯の部分に落ちていないと,結局アウトプットができない.多分、どうやらそれは今も一緒のようです。年をとって、何か表面だけ器用にできる部分が増えてきても、重要な部分はやはりダメです。そういうとき、自分の中で何かに違和感を感じていることはよくわかっています。たいしたことでなければ,その違和感を押し切っても,普通に普通のことはクリアできます。でも結局、一番重要なところはクリアできない。それが私にとっての、所謂、わからない、という状態。良いとか悪いということは関係ない。悪いことでも納得できれば別に良いし、逆に良いことでも納得できなければ同意はできない。とかく、つくる方面に関しては顕著に出過ぎてしまうようです。しかも、見る人が見ると一発で見抜かれる。本当の意味でストンと落ちることを頭の芯が待ち望んでいる。多くの場合、それはほんの些細なことだったりします。単なる、言い回しや表現の違い、という程度のことだったりする。だから、多くの人にとっては,それはたいしたことではないことが多いため、教えてもらいにくかったり、見つけにくかったりします。相手の話を聞いて、私が納得をしても、相手はなぜそれで私が納得したのかわからないことの方が多いようです。でもこれは、自分で見つけることが、非常に難しい。自分は一体何をもって納得できるのか。何に違和感を覚えているのか。原理も意味も意図も意義も理解しているだけに、なぜ納得できないのか、自分ではわかれない。でも、見つけるしかない。