『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−5


一方、デザインの歴史から産業革命を見てみます。大量生産による品質の低下を憂いた一部の人々が、手によるモノづくりの復興活動を興します。それはアーツ・アンド・クラフツ運動と呼ばれ、活動時期は19世紀の後半から20世紀の初頭まででしたが、この活動が国際的にさまざまな活動を誘発することになります。中でも、フランス・パリを発祥とするアール・ヌーヴォーは1890年のパリ万国博覧会を切っ掛けに世界中に広まることになります。これは手づくりを重要視しながらも、鉄やガラスといった当時の新素材の可能性を検討し、各デザイナーが新しい表現方法を模索した活動といえます。また、パリ万国博覧会と並んで、写真の技術が一般化したことも、国際的な規模で活動が浸透した理由の一つです。さらに時代が進むと、機械工業による安価で大量生産なものづくりと、手づくりによる少量ですが品質の高い生産との、両方を重視する考え方が広がりはじめます。中でも、アーツ・アンド・クラフツ運動の思想を受け継ぎつつ、後のバウハウスへとつながるドイツ工作連盟という活動は「大量生産するためのモノの規格化・標準化」という考えを中心に、芸術と産業の統一という構想を持っていました。また、一方ロシアでは、ロシア・アヴァンギャルドが起こり、デザインと政治のつながりが明確になりました。その考えの根本は、モノのデザインは生活様式・文化全体へ影響をおよぼし、結果的に政治・経済・社会全体に関わる、ということを初めて国家として意識した活動でした。プロパガンダ・アートとも呼ばれるように、政治にも積極的にデザインが取り入れられ、思想を伝達するための手段として用いられました。製造面で意識されていたことは「使用と生産の両面から見た合理性」として標準化が強く押し出されました。産業革命から続いた一連の流れの一つの区切りとしてここでバウハウスが設立されます。

・Alvin Toffler; The Third Wave, Bantam, 1984
・Nikolaus Pevsner; Pioneers of Modern Design, From William Morris to Walter Gropius; Revised and Expanded Edition, Introduction by Richard Weston

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