投稿

3月, 2011の投稿を表示しています

『自分と向き合うデザイン』

 東北・太平洋沿岸地震

Twitterが最も早かった。 タイムライン上を一斉に流れていった地震を告げるつぶやき達。 名古屋の友人から始まり、 すぐに東京へ移り、 「大阪」という単語を目で認識した直後、 身構えると同時くらいに揺れを感じました。 振動に弱い機器を用いていたため、 本能的にその機器の元へ、身体が勝手に向かっていました。 機器が問題無く作動を続けていることを認識した直後、 「震源地は宮城県付近」という言葉が目の隅にとまりました。 電話は既に不通になっており、メールも送れない。 今回ほど、SNSであるTwitterの必要性を強く感じたことは、 これまで無かったように思います。 140文字の限られた時空を活用し、 多くの情報が飛び交っていました。 Twitterで被害の規模を知り、 少し遅れて電話とメールで安否を確認しました。 今回の件は、これからのSNSに対して、 様々な影響を与えると考えられます。 まず、私の場合は、 自分がフォローしている人たちのつぶやきは信頼できます。 ほとんどが現実社会で会ったことがある人や、 または、人格を持たないbotだからです。 しかし、こういった緊急の事態では、 その中に多くのRTが入り込みます。 今回、「拡散希望」などの言葉を含んだ多くのRTが回りました。 現実の社会でも「噂」というモノがあります。 ひどいものでは、現実が歪められ、 何が事実なのかわからなくなることも、 少なくありません。 RTとは、捉え方によっては、 噂と同意語のようにも感じられます。 公式RTに至ってはそのまま正確にトレースされるため、 精度としては現実の噂を遙かにしのぎます。 では、現実の噂とRTの大きな違いはなんでしょう。 最も大きな違いはその速度です。 噂があくまでも口伝を主としているのとは異なり、 RTはインターネット上を、 まさしく光の速度で広がっていきます。 尾ひれは付きませんが、 もしも最初の時点で誤りがあった場合、 誤りのままあらゆる人々に情報が届けられることになります。 そして、そこには悪意も入り込むのです。 偽名というペルソナによってまもられながら、 悪意は光の速度で展開していきました。 僅かな悪意が、 多くの善意によって蔓延していく。 極めて

『自分と向き合うデザイン』

 常に自分自身

自分の経験から、現在の電子カルテの問題点を考えてみます。 何事もそうですが、 一番大切なのは自分自身がどのように感じるか、ということです。 「何時か」 「何処か」で 「誰か」が 「そんな風なこと」を言っていた、 では、 相手を説得できません。 以前もこのブログで書きましたが、 一番重要な点は、 そのモノを本当に自分が欲しいと思えるかどうか。 それがスタートラインです。 では、自分が直接用いないモノ、 使わないモノ、 もしかしたら一生関わらないモノに関しては、 どのように考えていけば良いのでしょう。 このことは次回以降に回して、 まずは自分が直接関係するモノから考えてみます。 しかし、世の中には、 どれだけ 「どっかの誰かが好き」 「みんなに人気がある」 という考えの元につくられているモノが多いことでしょう。 特に2000年に入ってから、ISO13407がらみで こういった考えが普及したのではないでしょうか。 ただ、こういった考えが悪い、 というわけではありません。 様々な試行錯誤の中で、 物事を説明するために生み出されて来た方法論だからです。 使用者・ユーザーという視点で製品を整理してみると、 色々な見え方をします。 例えば、携帯電話などのプライベートな製品は、 多くの場合、機器を使用する人と、 その機能の恩恵を受ける人が一致しています。 では、ちょっと大きく離れますが、 医療機器などはどうでしょうか。 機器を使用するのは、
お医者さんをはじめとした医療従事者の方です。 一方、その機能の恩恵を受けるのは、 患者という、機器を用いた医療従事者とは全く異なる人です。 これは使用者に限った表現ですが、 厳密に言えばもっともっと関係者は増えていきます。 もう少し具体的に、手術室で使用する機器を考えてみましょう。 まず、その製品をつくるメーカーサイドの人がいます。 次に、その製品を購入する人がいます。 いよいよ使用者に入りますが、 医療機器という特性上、 例えば、医者に機器を渡す看護師がまず関与する可能性があります。 そして、実際に使用する医者、 その機器を使用されるのは患者、 使用された医療機器はディスポーザルのモノであれば、 看護師の手に渡り廃棄されます。

『自分と向き合うデザイン』

 カルテの問題点

一口に電子カルテと言っても、 開発しているメーカーは一社だけではありません。 だから、各社競い合って良いモノができあがる。 というように、シンプルに物事はもちろん進みません。 当然、社間を越えて共有できるデータにはなっておらず、 基本的には病院内で情報を保存するためにのみ使われています。 活用のされ具合は病院によって異なりますが、 これまで紙で行われた作業がそのままパソコンに移行した、 程度のところもあるはずです。 電子カルテの問題点を言及する前に、 今でも診療所などで使用されている 紙のカルテの問題点を考えてみます。 最近私自身が体験したとこととして、 過去の履歴を反映させにくいという点があります。 比較的健康体である私は、滅多に病院に行くことがなく、 多くて一年に一度、という状態です。 そんな私ですが、冬になると空気が乾燥するため、 どうしても喉が炎症を起こしやすくなります。 私の場合は放っておくと喘息の諸症状が出てくるので、 炎症の起こりはじめで対策を立てようと思い、 先日、約一年ぶりに内科に行きました。 去年はこの最初の段階を甘く見ていたために 大変酷い目にあったからです。 自覚はできていますが、症状としては大変軽いので、 客観的には、健康なのか風邪なのか喘息なのかわからない、 という状況だったと思います。 しかし、去年、悪化してから診察を受けた際に、 「もっと早めに来てもらえれば」、 と言われたこともあり、 多分、去年のカルテを参照して気管支系の薬をくれるんだろうな、 と考えていました。 簡単な問診と触診の後に出てきたのは、 「熱もないので大丈夫そうですが、  風邪のお薬だけ出しておきましょうか」 という言葉でした。 ?あれあれ? いや、実は昨年の同じくらいの時期に・・・。 と話すと、ようやく過去のカルテを見られて、 血中酸素飽和度や喉の炎症に診察の対象が向かいました。 そんな経験から現在のカルテの問題点を考えます。

『自分と向き合うデザイン』

 Karte

生体情報管理、という意味では、 近代医学になって診察時の様々な情報を記すために、 カルテというものが使用されるようになりました。 カルテにはその時の患者の生体情報だけでなく、 診察の内容や処方されたお薬まで、 医師法に定められた内容に沿って、 多くの情報が記述されています。 "Karte" カルテは元々「Karte」と表記されるドイツ語で、 英語の「card」に相当する言葉とのことです。 医学の分野では、明治時代にドイツから伝わってきたモノが 今でも数多く残っており、カルテもその一つです。 そのため、カルテの内容はドイツ語で記述されていました。 今は英語でも記述されているようです。 Karteは日本語訳としては診療録が当てられており、 録という言葉が示しているように、 残すことを目的として記述されたモノになります。 カードという意味からもわかるように、 元々は医師が手書きで記録していましたが、 このカルテも情報化社会にのり、 ここ10年ほど前から、電子化されるようになりました。 膨大な量のデータの管理は、 コンピュータが得意とするところです。 保管・整理・検索によって、 患者一人一人の情報がきちんと保存され、 必要な時に探索することができる、 と、予想されていました。 しかし、 現実にはなかなかそのようには運用されていないようです。