『自己を見つめるデザイン』

 時間のミクロとマクロ


求めている時間を裏切られた際の、
ストレスについて考えて見ますが、
その前に、時間そのものを考えてみます。

私は、唯一、時間だけが全ての者にとって、
平等に与えられているものである、
と教えられてきたと、以前記しました。
貧富の差を問わず、
時間は平等に流れます。
その使い方によって差が生まれてきます。

また、一方で、年代という考え方があります。
例えば、何歳になったら○○をしたい、
または、何歳になったら○○をするものである、
など、その歳に依る考え方があります。
私などは、そういった考えからは、
逸脱した生き方をしてしまっていますが、
このような時間に対しても、
同様に求めているもの、求められているものが、
あるように感じます。

昨日の考えと対比して考えるならば、
それぞれ、
ミクロな時間の捉え方、
マクロな時間の捉え方、
と呼べるかも知れません。

このブログの人気の投稿

『命と向き合うデザイン』 

 "形而上と形而下"

風で飛ばない秋桜

『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−4