2012年1月19日木曜日

『自己を見つめるデザイン』

 学習する生き物



何事においても言えることですが、
どんな些細なことでも、
「今よりも少し良い状態」を知ってしまうと、
それを知る前には戻りにくいものです。
速い通信速度を知らなければ、
ほとんどの人がその速度で満足を感じます。
速度に不満を覚えても、
速い速度を知りさえしなければ、
または、それを実現する術はないのだと知れば、
諦めることができます。
しかし、実験的なモノにしろ、
当時の技術の粋を集めたモノにしろ、
一度でもそれ以上の速度を体感してしまえば、
もう遅い頃には戻れません。

多少誇張した表現に聞こえるかも知れませんが、
多かれ少なかれ、経験があることと思います。
携帯電話を最新機種に乗り換えたとたん、
前の機種の処理速度がとても遅く感じ、
使い慣れているとは言っても、
以前の機種に戻ろうとは思わないことでしょう。
工事が必要だからなんとなく面倒だな、
と思っていた光通信への移行も、
職場などで速い速度を経験すると、
家での通信に非常にストレスを覚えます。

全ての生物は学習します。
それによって進化をしてきたと考えられているからです。
たった一度の経験でも、
それが印象的であればあるほど、
頭が、身体が記憶するものです。
そして、身体が記憶したことは忘れにくく、
頭だけではなく、
心ともつながっているように感じます。



アダムとイブが、蛇に唆されて食べてしまった、
知恵の樹の果実。
知恵を得ることで、無垢を失い、
獲得した知恵によって、
生命の樹の果実も食べられることを危険視した神は、
原罪に対する罰として、
人間を楽園から追放します。
今の日本では、
昨年3月の地震に伴う震災の一部を、
そのように捉えている節があります。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
知恵の実を得ることで、
豊かな生活を得、
便利な世の中を実現し、
何よりも、これまでの高度成長を可能にしてきました。
その知恵の実を、悪の権化のごとく遠ざけることは、
けして最良の状態への道ではないと考えます。