2012年2月6日月曜日

『自己を見つめるデザイン』

 Twitterのウソと本当



今日のニュースに、
Twitterにはウソの拡大を招く危険性がある、
という内容のものがあり、
Twitterの善し悪しを問うような記事がありました。

どうなのでしょうか。
個人が自由に発言できると、
ウソが蔓延するのでしょうか。
昨年の東日本大震災の折、
悪意あるTwitterが広まったことを書きましたが、
結局のところ、
ウソをつくか本音で話すか、
それはその人に依拠する事柄であり、
ツールとしての技術には何も関係もありません。

全く関係ない、と言っては語弊がありますが、
Twitterに関して言うならば、
ツールによってウソが助長されるとは思えません。
にも関わらず、
Twitterそのモノが悪である、とするのは、
些か早計ではないかと思われます。

人間は、信じたいモノを信じるそうです。
つまり、信じたくないことはウソになるし、
信じたいことは本当になります。
これだけを考えると、
内容で全て決まりそうに見えますが、
Twitterに関して言うならば、
情報発信者と、
情報内容の、
双方が、
自分にとってどんな意味を持っているか、
ということに関係します。

情報発信者が自分が信頼している人である場合、
情報内容がどのようなモノであっても、
それはその人にとって「本当」になるでしょう。
ところが、
情報内容が自分が信じたいモノだったとしても、
情報発信者に対する信頼感が乏しい場合、
その内容を容易に信じることはできません。

多くの場合、Twitterで自分がフォローしている相手は、
自分が信頼を寄せている人である場合が多いため、
その発言も信じられるはずです。
しかし、
そこで混乱を招く元になっているのが「RT」の存在です。
どこをどう巡ってきたかわからないRTは、
判断を鈍らせます。
更に、
それが例えば助けを求めるようなものであった場合、
ウソかも知れないと感じても、
本当で会った場合を考えると、
拡散しないわけにはいかなくなります。

これは、Twitterが悪だと言えるのでしょうか。