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4月, 2015の投稿を表示しています

『memorandum』     

 浮世絵

知識欲、が多少はあるようです。 今日、たまたま出先で浮世絵の展示に出会うことができ、 のぞいて来ました。 「浮世絵」という単語は知っていても、 なかなかそこから先へとなると難しいと感じています。 辞書(広辞苑 第五版)に依れば、 「江戸時代に発達した民衆的な風俗画の一様式。  肉筆画も行われたが、特に版画において独自の美をひらいた。  桃山時代から江戸初期に流行した肉筆の風俗画・美人画を母胎とし、  17世紀後半(延宝〜元禄)の菱川師宣によって版本挿絵として様式の基礎がつくられ、  さらに1765年(明治2)には鈴木春信により多色刷版画(錦絵)が創始されて、  黄金期を迎えた。  その主題は遊里や芝居の情景、美女・役者・力士などの似顔絵を中心とし、  歴史画や風景・花鳥に及ぶ。  作家としては、ほかに、  鳥居清信・  西川祐信・  鳥居清長・  喜多川歌麿・  東洲斎写楽・  葛飾北斎・  歌川広重などが名高く、  19世紀後半からヨーロッパの美術へも影響を及ぼした。  とのこと。 こんなに長い引用は初めてですが、 本当に良くまとまっているな、と、 今日の展示を見たために読み取ることができました。 今日の展示は、実は海外の方が個人で集めてらした作品を、 一挙に公開いただいたというもの。 上述したような方々の作品が多数展示されていました。 少し、ページを割いて、 展示のお浚いを通して、自分のまとめてとしたいと思います。

『Consilience Design』   

 辞書に載る、とは

言葉が辞書に載る、とは、どういう基準で決まるのでしょう。 以前、気になって調べたことがありますが、 これがまた、びっくりするくらい、 感覚的、なものでした。 簡単にいってしまえば、 各辞書の編集部の皆さんの裁量次第、ということです。 新しく言葉が掲載されるためには、 現在は載っていない、は勿論のこととして、 世の中に如何に「定着」しているか、 ということが重要とのこと。 つまり、一過性のモノではダメ、ということになりますが、 この判断、なかなか難しいと思われます。 と、いうのも、一度辞書に載った言葉は消さない、 という暗黙のルール?があるらしく、 一度の流行語大賞を取っただけの言葉は 載るのに相応しくないと判断されるそうです。 なぜ、消さないかと言えば、 後日、昔使われていたけど今は使われなくなった言葉、 を辞書で引こうとして出てこないと困るからです。 そう考えてみると、社会的に発言力がある人が、 ある言葉をマニフェストとして掲げ、 数年間に渡ってその言葉を使い続け、 一般市民にも定着すれば、辞書に載るようになるのかも知れません。 辞書に載っている言葉はラング( langue )、 話し言葉はパロール( parole )、 として、 記号学的に特別な意味がありますが、 その決定は、意外と人の感覚的なものに委ねられているようです。

『memorandum』     

 漢字

先日、初めて聞く言葉がありました。 ・簡体字:中華人民共和国の文字改革によって制定された、自体を簡略化した漢字。 ・繁体字:簡体字化された漢字のもとの漢字 1949年:中華人民共和国 建国 1952年:中国文字改革研究委員会 設立 1954年:中国文字改革委員会に改名 1955年:漢字簡化方案草案 発表 1956年:漢字簡化方案(汉字简化方案) 公布 1964年:簡化字総表 以前、中国の方と会話をした際に、 双方共に英語があまり得意では無かったため、 漢字を書いてコミュニケーションをとったことがありました。 その時、 あ、こんな漢字は日本は無いなぁ。あ、これも無いなぁ。 ということが何度かあり、 てっきり、中国語の漢字の一部だけが 日本に入ってきているのだと思っていました。 しかしながら、この繁体字と簡体字のことから想像するに、 その時の会話で通じなかった漢字の多くは、 簡体字なのだと思われます。 歴史的な事柄なのでもう少し調べてみますが、 よく見てみると、 「これ、こんな風に簡略化しちゃって、良いの???」 と思われるものも少なくありません。 かく言う私の名前もまた、 ちょっと変わった字ではありますが。

『Consilience Design』   

 辞書

私は、なぜか昔から調べることが好きです。 初任給で最初に自分のために買ったものは、 電子辞書でした。 未だにそれを使っています。 まだまだ使えるなぁ(つまり、壊れないな)、と、 思っているのですが、 それと同時に、一つ疑問に思うことがあります。 載っている言葉のうち、 その多くは多分、私が購入した頃から現在に至るまで、 変わっていないでしょう。 しかし、その一部は変化しているはずです。 なぜか。 それは、もちろん言葉の解釈のされ方が変わっていくからです。 状況が変化したら、 それに伴って、内側にあるものも変わっていきます。 それについて印象的なことがありました。 私が卒業した大学では、 アカウントを取得するために試験 がありました。 その試験は、単語の意味を調べてくる、というもの。 しかし、 私が出題された「アカウント」という単語の意味は、 今のモノとは違っていました。 違っていた、というよりも、 現在のインターネットで使用されている意味は、 記載されていなかった、というのが正確な表現になります。 時の流れの中で、辞書の意味は変わっていく、 ただ、新しい意味が追加される、ということもあれば、 もちろん、 新しい単語が登録されることもあるのです。 辞書に載っている言葉と、 辞書に載っていない言葉、 それぞれに意味があります。

『Consilience Design』   

 re-

"consilience"をOxfordで見てみると、 下記のように語源が書かれています。 Mid 19th century: from con- + Latin -silient-, -siliens 'jumping' (as in resilient- resilient), after concurrent. 以前、前半部分に関して言及しましたが、 後半を見てみます。 as is resilient- とあります。 ということで"resilient"へ。 C17: from L. resilient- 'leaping back', pres. part. of resilire (see resile) 日本語の訳を見てみると、 「はね(飛び)返る、弾力のある」等の訳になっています。 ここで気になったのは、 "leap"と"jump"の違いですね。 こういう感覚的な部分において本当に弱いなと感じます。 ちょっと調べてみると、やっぱり出てきますね。  jump:跳ぶ、という跳躍の動作に重点が置かれているとのこと  leap:大きな変化、急激な変化量を意味しているとのこと  spring:特定の方向に向かって突然、素早く動く(おまけ) ・・・あれ?!consilienceよりも大きいの?! とも思えてしまいますが、 多分、何に重きを置いているか、ということの違いですね。 consilienceは「一緒に飛び跳ねよう!!」という想いに重きが、 そして、 resilienceは「跳ね返る」という意味からも、 逆に変化する、 というベクトルの向が重要、という想いに重きがあるように感じます。

『memorandum』     

 伝える

私は、 中学高校と吹奏楽部に所属し、 大学ではオーケストラ部に入っていました。 楽器はずっとフレンチホルンでしたが、 大学2年生の時に、友人に誘われて、 練習の指揮を振ることになりました。 これが私にとって、とても大切な経験になったように思います。 そもそも、そんなことをするつもりはありませんでした。 友人が誘ってくれたから、 じゃぁ、やろうか、 というのが始まりです。 私は、下手の横好きで中高とやってきましたが、 レッスンを受けていたわけでも無く、 全て自己流でした。 もちろんテキストを見ながら練習をしたり、 先輩に教えてもらったことはたくさんありますが、 そうは言っても、専門家にきちんと習う、ということはありませんでした。 そんな私が指揮なんか振って良いわけ??? というのが最初の思いです。 ただ、折角誘ってくれているのに、 何の根拠もなく断るわけにはいきませんし、 彼がやりたがっていることはとてもよく伝わってきました。 そして、多分、私自身、本心から言えば興味があったのだと思います。 できるかどうか、 よりも、先に、 やってみたい、 人に何かを伝える・教える、ということが、 自分にできるのだろうか、 そんな想いが心の中にあったのだと思います。 先ほども書いたように、 私のは本当に下手の横好きです。 その歳まで8年間やってきたのに、 え?そんなものなの? と言われてもおかしくないくらいの演奏しかできませんでした。 でも、逆に言えば、 そんな私にとって、曲を演奏するということはとても大変なことです。 つまり、「演奏が苦手な学生」にとって、 演奏がどのくらい大変か、ということを、 経験的に理解している、ということになります。 そして、レッスンに行っていない分だけ、 どうやったら演奏できるようになるか、 を自分で考えるようになっていました。 練習方法や考え方・曲の解釈など、 習うことで得られたものとは、 また別なモノを持っている、という自覚はありました。 誘ってくれた彼が王道で行ってくれるだろうから、 じゃぁ、私は覇道を行こう。 そう勝手に決めて、突き進んでいきました。

『memorandum』     

 描くこと

自分は、絵を描くのが苦手だ、という思いを抱えて大学に入りました。 普通ならば、苦手なことをやらされれば、嫌になるものですが、 私の場合はちょっと違いました。 苦手なことは苦手なのですが、 改めて、描き方を教えてもらえたり、 そもそも描くということは、どういうことなのか、 ということを考える機会をもらえたことが重要でした。 そうなると、自分が下手だからどうのこうの、ということは、 とても小さなことで、 そんなことは、ただ只管練習するしかない、 ということもわかりました。 何よりも、「描く」ということ、そのものについて、 自分の中で落とし込むことが、とても大切なことでした。 そして、それは教員という立場になったとき、 また別なものに変わっていきました。 つまり、自分が下手、ということは、 一つの武器になったのです。 下手だから見られたくない、 下手だからなかなか描こうとしない、 下手だから・・・ というような、 「描くことが苦手な学生」が、 なぜ、そう感じるのか、 そう感じた時はどうすれば良いのか、 ということの一部が、自分の経験からわかるとういことです。 実は、私は、こういったことの集合でできているのかも知れません。

『Consilience Design』   

 横井小楠

覚えているつもりでも、 とっさに正しい答えが出なければ、 意味がない。 そう感じることがあります。 ということで、まずは、メモ。 横井 小楠 1809年09月22日 - 1869年02月15日 熊本→福井 勝 海舟  1823年03月12日 - 1899年01月19日 江戸→…→東京 松平 春嶽 1828年10月10日 - 1890年06月02日 江戸→福井 由利 公正 1829年12月06日 - 1909年04月28日 福井→東京 吉田 松陰 1830年09月20日 - 1859年11月21日 長州→江戸 橋本 左内 1834年04月19日 - 1859年11月01日 福井→江戸 坂本 龍馬 1836年01月03日 - 1867年12月10日 土佐→…→京都 1853年 ペリー艦隊が来航 1858年 - 1859年 安政の大獄 1864年 池田屋事件 1867年 大政奉還 こうして見てみると、 横井小楠は断トツで年長であることがわかりました。 江戸から明治へと進む重要な時期に、 その重要な人物達へ大きな影響を与えた人の一人です。 1850年代になってから、様々な著書を残しています。 「国是三論」 「学校問答書」 「夷虜応接大意」 「沼山対話」 「沼山閑話」などなど。 思想を言葉で残し伝えた、という点でも、 大きな意義があったように感じます。 熊本から福井に来たのは横井小楠。 熊本から福井に来たのは横井小楠。

『memorandum』     

 描く

デザインに関わる仕事をしています。 小さい頃の私をよく知る人は、 まさか!と感じるかも知れません。 なぜかと言えば、お絵描きが苦手だったからです。 幼稚園の頃に描いた絵は、 壊滅的でした。 自分でも覚えているほどに、大変なものだったと思います。 それでも、褒めてくれた母に感謝です。 やがて、小中高と成長していっても、 目の前にはやたらと上手い人が。。。 そんな環境で育った私は、 ただつくりたいという想いだけで、 大学を選びました。 よく考えれば、いいえ、よく考えなくても、 絵を描くことが必要不可欠であることは疑いようもないことなのに。 大学に入ってから習った方法は、 それまでのものとは違っていました。 もちろん、目に見えるモノをきちんと描ける能力は必要です。 でも、それと同時に、 目に見えないモノ、 まだ、世の中にないモノを描くための能力が求められることになりました。 それから、かれこれ、20年弱、 なんだかんだと、描いてきたのだと思います。 もちろん、未だに、絵は褒められることはありません。 でも、いつか、そうありたいと思っています。

『memorandum』     

 つくる

デザインに関わる仕事をしています。 小さい頃から、何かをつくることは好きでした。 専らブロック系の玩具を使って、 「何か」をつくっていました。 誕生日やクリスマスなどに玩具を買ってもらい、 最初は、そこに載っているモノをつくっていきます。 でも、 一通りつくってしまうと、 そこからが、本当の意味での「創る」時間でした。 今思い返してみて感じることは、 当時は、「こういうモノをつくろう」と 考えてつくっていたことは少なかったと思います。 とにかく、何かをつくってみる。 それは、「あぁでもない、こうでもない、、、」 というものでもなく、 「あ!こんなのできた!じゃぁ、こうしたら、、、あ、こうなった!」 というように、 「つくっては考え、考えてはつくる」を、 地でいっていたようです。 これは、私が大学に入って、 デザインとして教わったことにつながります。 頭で考えているうちは、まだまだ、 やがて、手が考えるようになる。 そう教わりました。 大人になってからそう言われても、 なかなか素直にはそう考えられないな、と感じていましたが、 逆ですね。 考えてはいけないのだと気付きました。 とにかく描いて、つくって、 その一つ一つがきっと、 自分自身に返ってくるのだと考えています。

『Consilience Design』   

 ロゴマーク

ロゴマーク、ロゴタイプ、マーク、シンボル、、、 色々な言われ方をしますし、 それぞれ少しずつ意味が異なります。 これまで、私が所属した研究室では、 色々なところのロゴマークをデザインさせてもらいました。 企業様、ブランド、商品、大学、研究室など、 実に様々です。 そのお陰でしょう。 何かに関わると、比較的早い段階で、 「あ、ロゴ考えないと。。。」と 頭が考えるようになりました。 会社にいた時も、 関わらせてもらったプロジェクトによっては、 一度のイベント限りのロゴマークを考えたりもしました。 そんなことに頑張る人は少なかったようですが、 多分、私には色々染みついていたようで、 本当に一回切りのモノなのに、全力で取り組んだりしていました。 名は体を表す。 という言葉があります。 人間に対して使われる場合は、 生まれた時に決められた名前(情報)に、 身体(物質)が近づいていく、という意味ですが、 プロダクトやブランドなどにロゴマーク(情報)を設定する場合は、 多くの場合、完成したモノ(物質)を対象として、 設けられます。 この違いには意味があるのではないかと考えます。

『memorandum』     

 兼六園菊桜

梅、と言っても、実際は様々な種類があります。 当たり前のことなのでしょうが、 これまではさほど意識していませんでした。 今年に入って、そういうことを意識する機会に恵まれました。 もちろん、同様に、桜、と言っても、 色々な種類があります。 八重桜はもちろんその一種なのですが、 これも、特定の品種を指すものではなく、 八重咲きになる桜は全て八重桜。 そんな風に思いながらもう少し調べてみると、 なんとも縁のありそうな名前を見つけました。 それが、 「兼六園菊桜」。 八重桜の中でも殊更花弁の枚数が多く、 300枚にものぼるとか。 その名の通り、発祥の地は兼六園で、 江戸時代から栽培されていたそうです。 今度、桜が終わった季節に金沢に行くことがあるなら、 是非一度見てみたいと思います。 何かと縁がある八重桜。 きっといつか見られるはず。

『memorandum』     

 八重桜

いにしへの   奈良の都の     八重桜    けふ九重に      にほひぬるかな 百人一首は、結構宙で詠める方がいらっしゃいますね。 私は全くわからないのですが、 興味を持っています。 小さい頃の方が覚えやすかったはずなのに、 その頃には興味を持てませんでした。 さて、そんな八重桜の歌ですが、 詠み手は伊勢大輔という女性とのこと。 奈良から宮中に八重桜がおさめられた時のこと、 その受け取り役を紫式部から譲られた伊勢大輔が、 藤原道長から突然振られた詠まれたそうです。 古(いにしえ)と今(けふ)、 八重と九重、 奈良と九重、 見事に絡み合ってて素晴らしいそうです。 よく頭が回るなぁ、と感心しますが、 こういう回転、とても大切ですね。 普段の会話でも、大切なのかも知れません。 単純な言葉の応酬ではなく、 会話・対話として楽しむことを心掛けたいものです。

『Consilience Design』   

 師弟感

改めて師弟感について考えます。 親子で師弟の関係を構築することの難しさは、 現代における情報の早さが一つの原因です。 昔は、師にとっても弟子にとっても、 親子で実現する方が、一番早かったわけです。 余所から知らない人を見つけてくるよりも、 取り敢えず自分の子どもに教える。 性格もわかっているし、普段から一緒に生活しているわけですから、 確かに色々な点において、その方が都合が良かったわけです。 これを現代に置き換えてみるとどうでしょう。 様々な家庭があります。 単純に情報の早さや量だけが問題なのではないと言えます。 それならばいっそのこと、 元々は全然知らない人同士でも、 その仕事そのものに興味を持ってくれる人間の方が、 都合が良いのかも知れません。 かく言う私も、 祖父や父の職業とは全く関係がない仕事に付いています。 では、そこには何の想いもないのか、といえば、 もちろんそんなことはありません。 例え、職業としては違っていても、 幼い頃に見て聞いて感じた、 その仕事に対峙する姿勢は、 きっと自分の中に生きているのだと感じます。 それはカタチとして見えるものではないかも知れません。 しかし、単純に見えるものだけが受け継がれていくわけではない、 のだと考えます。

『Consilience Design』   

 師弟

先日のブログを読んでくださった方から、 「宮大工・西岡常一」さんの ドキュメンタリー作品を教えてもらいました。 「鬼に訊け」 まだ見ることができていませんが、 西岡常一さんについて調べてみて、 現代における問題と重なり合うところがありました。 それが、タイトルにもなっている師弟感です。 西岡家は、完全に父子による伝承です。 ご本人が子どもの頃にお祖父様、お父様から習い、 自分も、娘婿さん、お孫さんへと、伝えていく。 現代において、これが如何に難しいことか、 その渦中にいない人でも多分、想像はできると思います。 私が関わらせていただいているいくつかの産地も、 この問題を抱えています。 職業選択の自由、 などという時代錯誤な話しをする気はありませんが、 確かに昔は、父親がやっている仕事を見て、 何となくそういう方向に、心が向いていく、 または、そういうものなのだと、心が納得していく、 ということがあったのではないでしょうか。 現代では、良くも悪くも、 様々な情報を得ることができてしまいます。 以前なら、物理的に目で見ることができうる範囲が、 その人にとっての世界でした。 しかし、もちろん今は違います。 物理的には見えていないところも、 まるで自分の世界であるかのように、 感じることができるようになりました。 そこにある「現実感」「本物感」「迫力」、 そういったものは現代において、 どのように変化しているのでしょう。 モノ、に携わる者として、 そのことはとても重要なことです。

『memorandum』     

 abbreviation

abbreviation、という単語を知りませんでした。 意味は略語。 でも、略語の意味を聞きたい場合は、 What does ATM stand for? と聞くかもしれませんね。 さて、そんな略語ですが、色々なところに溢れていますね。 上に書いたATM(Automated Teller Machine)もそうですし、 POS(Point-of-Sale )もそうですね。 NHK(Nippon Housou Kyoukai)も略語ですし、 NEC(Nippon Electric Company)もそうですね。 BMW(Bayerische Motoren Werke )もそうらしいですし、、、 と、多分、どんどん出てきますね。 もちろんわざとそのように書いたわけですが、 なんて三文字が多いことでしょうか。 そう感じてウェブで検索すると、 出てきますね、なぜ三文字が多いのか、という話題のブログが。 色々な説がありますが、 「程良い」 ということのようです。 二文字では、数的にあっという間に打ち止め。 四文字では短くなった感が薄い。 ということで、三文字が程良いようです。 三文字にすることによって、 26×26×26=17576種類は確保できるようです。 とはいえ、うまいこと全て使われるわけもなく、 また、かぶってくることもままあるわけですね。 ただ、こういう具合に、 多くの人が「程良い」と感じることには、 何かしら、法則があるのではないか、 と感じます。 手に持つモノ、 乗るモノ、 投げるモノ、 転がすモノ、 つまむモノ、 色々なところに多分、程良さはあるのだと思います。 それは人体から決まる部分もあるでしょうし、 その他様々なもので決まってくるのだと考えられます。 そんなことを考えるに至ったのは、 カーステレオに付いていた、 「AUX」 という三文字を見たから。 そういえば、これはどういう三単語なんだ? と思い調べてみると、、、 auxiliary ・・・ん?あぁ、頭の三文字?!?! その場合も、ありますね、確かに。

『memorandum』     

 槍鉋

宮大工と言えば、と言うわけではありませんが、 槍鉋という大工道具があるそうです。 あったそうです、の方が正確かも知れません。 現在ではほとんど使われていないとのことですが、 同時に、現代ではほとんどつくられていないそうです。 外観は槍のように、 棒状の木材の先端に槍のような形態の刃が付いています。 刃の部分が反り返っているため、 その反りを利用して木材の表面を削っていきます。 大分古くからある道具らしく、 最も古いモノは7世紀頃のモノが出土しているそうです。 お隣韓国でも類似にモノが発掘されているとか。 ただ、あまり他に類似したモノがないらしく、 もしかしたらこの辺独自の文化かも、とのことです。 表面に特徴的な目ができるため、 通常の台鉋とは異なり、 表面を均すためだけに使われるわけではなかったようです。 木の繊維を傷めずに滑らかに仕上げることができるらしく、 耐久性も増す、とか。 いずれにしてもつくり手もつかい手も、 文字通り匠の業が必要な物品のようです。 ちょっと気になったのは、 「鉋」という漢字。 『漢字源』(学習研究社/藤堂明保)によると、 語源は「金+音符包(外側をつつむ、外側をこする)」とのこと。 一般的な台鉋を思い描けば何も疑問を抱きませんが、 今回取り上げた槍鉋に関して言えば、 ・・・包む???となります。 もちろん、意味としては「こする」というものもあるので、 そちらが採用されたのだとは思いますが。 どのような流れから槍鉋という道具が生まれ、 鉋という名前を冠することになったのか、 そう考えていると不思議な感じがします。

『memorandum』     

 宮大工

宮大工という職業があります。 文字通り(?)、神社仏閣の建築や その補修作業を行うことを生業にしています。 私自身、最初はそのくらいしか知りませんでした。 ただ、よく考えてみると、 宮大工という職業は、 日本全国、至る所にいなければいけないことになります。 多分、神社仏閣がない県は存在しないと思いますし、 もしかしたら、市町村単位でも、 神社仏閣は最低一つはあるのではないかと思います。 そうなると、宮大工、という特別な表現をする必要はあるのか? と考えたわけです。 調べてみて、すぐに出てきました。 「渡り大工」という表現。 日本中あらゆる場所に、とは言わないかも知れませんが、 様々な土地の神社仏閣を修繕して回るそうです。 今度の建物はどのような構造なのか、 はもちろんのことながら、 どの木材を使うのか、 どこまで修繕するのか、 どういう手順で行うのか。 一言に神社仏閣と言っても、 それこそ様々な様式・形式を備え、 何よりも、歴史性を持っています。 その時間的な文脈も踏まえた上で修繕作業を行う職業と考えると、 非常に深く難易度が高いと言えます。 宮大工に関する登録等の情報は見つけることができませんでしたが、 ある方がメモ的に書かれていたモノに依れば、 日本全国でも100人を切ってしまっているようです。 本当かどうかはさておき、 現実的な職業としては確かに難易度も高く、 技術継承の方法も限られているという点において、 今後、継続していくのが難しい職業、 その職能を残していくことが重要になっている職業である、 と言えます。

『Consilience Design』   

 「私の創造論」

"consilience"の語源を調べてみたところ、 "Jumping"という単語が出てきました。 この言葉を見た時に、ふっと頭に浮かんだことがあります。 それは、大学4年生の終わり、 卒業論文を書いていた時のことです。 当時、私の卒業論文の指導教員は物理学の先生でした。 その方から一冊の本(のコピー)を渡され、 それを読んで、それに基づいて何かを書くように、 と指示されました。 私が、本当は卒業制作の師の元で論文も書きたがっていたことを、 その先生はご理解くださり、 その本に基づいていれば、あとは自由にして良い、 と、言ってくださりました。 その本とは、 湯川秀樹の「私の創造論」です。 物理の先生だから、物理の本、なのかな? と最初は思いましたが、 物理に関する専門的な話しなどは一切出てこず、 只管、「創造」についての、 湯川先生の考えが述べられていました。 際だった創造というものが、 どのタイミングで生まれるのか、 ということについて、先生の考えがまとめられたいたのです。 湯川先生が、創造にとって最も重要だと考えていたことは、 同定です。 何かを結びつける時に、創造が生まれる。 特に、際だった創造が生まれる時と言うのは、 全く関係性が見いだせないような事象に対して、 同定するような内容が発見できた時、 なのだとまとめられていました。 今回、Consilienceという単語を調べた際に、 Jumpingという単語に辿り着きました。 それは、つまり、大いなる創造につながる領域である、 考えられるのではないでしょうか。

『memorandum』     

 Apple

Appleのモノを好んで使っています。 私が最初に触れたパーソナルコンピュータはMacです。 つまり、Appleのモノです。 それ以来、ずーっと、、、では全くなく、 そもそも、大学の頃にも、UNIXベースのモノを使ったり、 それにしても、SGIもあればSUNもあり、 NEXT STEP(OPEN STEPだったと思いますが)や、 BeOSなどというマニアックなモノまで、 本当に色々と触れる機会がありました。 一番触れていなかったのは、そう、 Windowsですね。 でも、それも、会社に入ったお陰で、 5年間は丸々Windows漬けでした。 お陰様で、そういったツールを使う上での抵抗は、 びっくりするくらいありません。 ただ、使う上で抵抗がないのと、 使いたいかどうかは話しが別ですね。 やっぱりAppleのモノに戻ってくる。 そういう意味では、 私が先ほど書いた会社を辞めた折に、 お世話になった方々から送られたiPodは、 すぐにMacに戻るんだろ? という意味だったのでしょう。正解ですね。 そのiPod、もうかれこれ8年目になるというのに、 今でも元気に動いています。 ありがたい限りです。

『memorandum』     

 続エ・・・ーター

以前、escalatorは、アメリカの商標で、 最近できた新しい語である、と記しました。 確かに、少なくとも近代以降の技術によってつくられたものですね。 ・・・あれ???じゃぁ、エレベーターって、いつからあるの??? 言葉があった、ということは、 それが指し示す存在(signifié)があったということです。 調べてみると、なんと紀元前から。 でも、考えてみたら、単純機械に滑車が含まれるわけですから、 当たり前のことでした。 単純機械とは、 古代に開発された道具で、 小さな力を大きな力に変換する、最も基礎的な機械要素、 とまとめられたと思います。次に示す5種です。 ・滑車 ・ねじ ・くさび ・てこ ・輪軸 改めて調べてみると、 技術者のヘロンが提唱したとのこと。 それぞれの原理は置いておくとして、 今回たまたま取り上げたエレベーターは、 この内の滑車を利用してつくられたものがあったようです。 現代の文化からすれば、 エレベーターにしろ、 エスカレーターにしろ、 どちらも「上の階に移動するための装置」 という概念になっているように感じますが、 エレベーターが誕生した頃、 エスカレーターのような装置をつくり出すことは困難だったわけです。 モノの在り方、ということを考えてみると、 そこには必ず歴史性が存在し、 それを無視して対象を語ることはできません。 見た目の上や、音の響きの上では、 似ているモノでも、 中をのぞいてみると、全く違う、 ということがたくさんあります。 そのことを忘れてはいけません。

『memorandum』     

 エ・・・ーター

"elevator"と"escalator"について考えます。 この二つは大人になってからも、 ついうっかり、間違える方がいらっしゃるのではないでしょうか。 「エレベーター」 「エスカレーター」 英語よりも、日本語で並べてみた方が似ている感じがします。 最初と最後が揃っていれば誤認する、 という話しはまた別の機会にまとめるとして、 それぞれの言葉を見てみます。 まず、"elevator"は、 ME: from L. elecat-, elevare 'to raise'. 持ち上げるわけですね。 そして、次に"escalator"について見てみると、、、 C20 (orig. US, as a trade name): from escalade 'climb a wall by ladder' (from the noun ESCALADE), on the pattern of elevator. ・・・?trade name?商標登録なの?アメリカの? これまで語源などを見てくると、 大体がラテン語かギリシア語をベースにつくられていました。 つまり、ヨーロッパ圏です。 言語のルーツはまた別の機会に考えるとして、 様々な言語の元がその辺りにあることは一般的に知られています。 今回取り上げた言葉、 escalatorはたまたま新しかった言葉のようです。 ・・・と、言ってしまえばそれで終わってしまいますが、 ここで考えなければいけないことがあります。 言葉の古い、新しい、とはどういうことなのか。 辞書に収まっている言葉、とはどういうモノなのか。 私たちは経験的に知っています。 辞書に収まっている言葉と収まっていない言葉がある、 ということを。 そこにどんな違いがあり、どんな意味があるのか。 そのことについて、また今度まとめてみます。

『Consilience Design』   

 Studio

"studio"とはそのまま"study"が元になっているようです。 ”Concise Oxford Dictionary & Thesaurus“も リーダーズ英和辞典もほぼ一緒です。 C19: from Ital., from L. studium (see STUDY). では、このstudyにはどんな意味が? 英語を習い始めた最初の頃に学習する単語であり、 意味はもちろん「勉強、研究」ですね。 しかし、interdisciplinaryでも見てきたように、 ただ勉強や研究とは言っても、 「どんな」勉強や研究なのか、 ということは、語源から垣間見えるはずです。 まずは、”Concise Oxford Dictionary & Thesaurus“から。 ME: shortening of OFr. estudie (n.), estudier (v.), both based on L. studium 'zeal, painstaking application'. 最後に三つも並んでますね。 「熱意、勤勉な、没頭」という感じでしょうか。 続いて、リーダーズ英和辞典です。 OF estudie(r) (L studium diligence, studeo to be diligent) こちらも「勤勉な」が見て取れるのですが、 ちょっと気になったで、このdiligenceを更に見てみると。。。 OF<L (diligo to value, love) LOVE!! 英語で言うところの"love"は、 日本で言うところの「愛」ではない、と、 私は感じているのですが、 それはまた別の機会にまとめます。 何はともあれ、 "studio"についてまとめてきました。 その語源がstudyということは納得できるわけですが、 更に、その奥に"love"が潜んでいたことに驚かされました。 studyとはただ勉強したり研究するのではなく、 そこには対象へのloveが必要

『memorandum』     

 美しさ

イメージ
美しさに心がスッとする、という体験。 何が美しさなのか、 美しさとは何なのか、 まだ、わかりません。 それを知りたくて、自分のテーマを設定しました。 モノの在り方をどのように表すことができるだろう。 目に見えているモノを違った表現で表すことで、 見えていなかったモノが見えてくるかも知れない。 気付かなかったことに気付けるかも知れない。 そんな想いでモノに向き合っています。 今日、出張に向かうため、学内を車で走っていると、 突然の風で桜の花弁が舞いました。 その中を車で突っ切っていった時、 その美しさに心がスッとして、笑顔になっていました。 見る人が、触れる人が、そんな気持ちになれるような、 そんなモノを生み出すためにココに来たのだと、 信じています。

『Consilience Design』

 Collaboration

Interdisciplinaryという単語は、 含みはありつつも、一般的には「学際的な」と訳されています。 逆に手元の辞書で「学際的な」とひくと、 もう一つの単語が出てきます。 “Collaboration” コラボレーション、という言葉はカタカナ語として良く耳にします。 一般的な意味はよく知られているそのまま、 「共同して働く、合作する」などです。 では、語源を見てみましょう。まずは、”Concise Oxford Dictionary & Thesaurus“。 C19: from L. collaborat-, collaborare ‘work together’. work、確かに働くので、ワークなのですが、、、 違和感を感じたので、リーダーズ英和辞典も見てみると、 L col-(LABOR) ”labor“???つまりは労働??? “co- + labor”で、共に労働するわけです。 勝手なイメージでしかありませんが、 ブルーワーカーな印象が強くなり、 研究・教育とのつながりが薄れるように感じます。 と、ここまで書いてから、一つのことに気が付きました。 研究室に対して一般的に用いられる英語名は、 ”Laboratory“。 思いっきりLaborでした。 そんな中、当研究室名の最後に付いているのは、 “Studio”です。 この言葉についてはまた次の機会に。

『memorandum』     

 Knockdown

ノックダウンについてまとめます。 産業界・製造業におけるノックダウンとは、 ノックダウン構成・生産のことを指します。 “knockdown”の意味は、まさにボクシングのそれです。 打ち倒される、つまり、商品や製品が打ち倒されるということは、 バラバラになっているということです。 分解された状態=可搬性に優れている、 ということで、輸送コストが削減できます。 大きなモノはもちろんですが、 組み立てられた状態で運ぶと傷が付きやすいモノなども、 分解して梱包し、搬送することには利点があります。 デザインとして重要なことは、 分解することを前提につくる、ということ。 さらに言えば、より容易に組み立てることができるように製造することで、 トータルコストを抑えることができます。 多数の部品からつくられているモノ、 特に重工業製品に対して用いられることが多く、 自動車などはその好例です。 重工業製品に対して用いられているのには、 分解して運ぶ、以上に利点があるからです。 その時に考えなければいけないのは、 「ライセンス生産」との違いです。 ライセンス生産とは、 ライセンスを提供することを前提に行う生産です。 つまり、ある企業が開発した製品の設計・製造技術を、 ライセンス料を支払うことで獲得することができる生産方式です。 上述のノックダウン生産では、 組み立て方や組み立て技術は獲得できますが、 組み立てているそれぞれのパーツの製造方法はわかりません。 それぞれはあくまでも生産するための方式でしかありませんが、 そこには、企業間の関係や、業界内の関係が、 ひしめき合っているようです。

『memorandum』     

 Chemistry

”Memorandum“には、 その時々の自分自身の備忘録を残していきます。 私は高校時代、物理と化学をとっていました。 大学受験という意味では、どちらかを捨てて、 一方に絞り込む、ということが一般的でした。 当時の私は、建築意匠に進むつもりだったため、 受験という意味では化学は捨てた方が効率が良かったのかも知れません。 しかし、なぜか結局最後まで続けることに。 しかも、特に有機になると面倒くさい、という話しも聞いていたため、 本当に面倒くさいのか?大変なのか? と、否定的な言葉を聞くとかえってやりたくなる性格から、 続けていた、というのも事実です。 今になって思うのは、続けていた良かった、ということです。 とは言え、化合物の名前を聞いても、それが何であるかはわかりません。 性質を覚えているわけでも、原子番号がパッと出てくるわけでもありません。 それでも、 素材の名前を聞いて、 それがどのように分解できるものか、 何を復習すれば良いのか、 関係している他の物質は何か、 熱が重要か触媒が重要か、 などなどの想像がつくだけでも、とっても助かります。 建築を考えていた当時、 いつか自分が化学を必要とするとは思いもしませんでした。 celluloseの分子式は? そこから生成される繊維であるacetylcelluloseの性質は? などなど、 高校の時とは全く異なる現実的で複雑な内容について、 基礎を振り返りつつ吸収し直します。

『Consilience Design』

 Interdisciplinary

当研究室は、日本語名を、 「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」、 英語名を、 “Consilience Design Interdisciplinary Studio”と、 銘打っております。 昨日はconsilienceについて見てみましたので、 今度は、“interdisciplinary”について見てみます。 interdisciplinary = inter + disciplineと考え、 まずは、”discipline“から語源を見てみます。 ”Concise Oxford Dictionary & Thesaurus“では、 下記のようになっています。 ME (in the sense ‘mortification by scourging oneself’): via OFr. from L. disciplina ‘instructions, knowledge’, from discipulus (see DISCIPLE). 次にこの”disciple“については下記のように載っています。 OE, from L. discipulus ‘learner’, from discere ‘learn’; reinforced by OFr. deciple. 前者の”discipline“について、リーダーズ英和辞典も見てみると、 そこでは意外なほど短い文章になっていました。 OF<L=teaching; →DISCIPLE 一見こちらだけ見れば、 teaching、つまり、教えることや教え、という意味か、 となって終わってしまいますが、 問題は、Oxfordの辞書との違いです。 括弧書きでわざわざ ”(in the sense ‘mortification by scourging oneself’)“ と、されていることに意味がないはずがありません。 “mortification”とは「苦行」(元々の動詞”mortify“の語源は「殺す」)、 “scourge”とは「厳しく罰する」(語源は「革紐」)こと。 ここに、”inter-“を付けることによって、 “between”や”mu

『Consilience Design』

 Jumping

"design" については以前まとめていますので、 今回は"consilience"について考えます。 "consilience"の語源はOxfordによると、 次のように記されています。 Mid 19th century: from con- + Latin -silient-, -siliens 'jumping' (as in resilient- resilient), after concurrent. con- + silientと分割することができ、 con-は、共になどの意味で用いられることが多い接頭語です。 問題は後ろのsilientについてです。 その意味は"jumping"。 異なる学問領域がジャンプして手を握り合うのか、 手を握り合ったらジャンプしちゃったのか、 どちらなのかはわかりませんが、 結果的に飛躍的な何かが生まれたことは間違いないようです。 Oxfordに記されている意味そのものは下記のようになりますが、 Agreement between the approaches to a topic of different academic subjects, especially science and the humanities. その語源がjumpingであるとは、学問に対する認識自体が、 日本と英語圏では異なるのだと考えさせられました。

『Consilience Design』   

 継続

約4年ぶりにブログを更新していきます。 この4年間、 福井県・仁愛大学、 石川県・金沢工業大学、において、 様々な経験をさせてもらいました。 それらを含め、本年度より、 大阪大学大学院医学系研究科保健学専攻 「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」にて、 新たな領域へと進む機会をいただきました。 このブログでは、 日々の活動の中での気付きや、 対象における自分自身の理解と纏めを中心に、 書き残して参ります。 それらを通して、 "Consilience Design" という言葉を自分の中へ取り込んで参ります。 よろしくお願いします。